ザルツブルク復活祭音楽祭『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

 

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祝祭大劇場

ワーグナーニュルンベルクのマイスタージンガー
2019年4月13日 … ザルツブルク復活祭音楽祭 ザルツブルク祝祭大劇場

[演出]
 … イェンス=ダニエル・ヘルツォーク
[出演]
 … ハンス・ザックス:ゲオルク・ツエッペンフェルト
 … ファイト・ポークナー:ヴィタリイ・コワリョフ
 … クンツ・フォーゲルゲザング:ユーリー・チョバーヌ
 … コンラート・ナハティガル:ギュンター・ハウマー
 … ジクストゥス・ベックメッサーアドリアン・エレート
 … フリッツ・コートナー:レヴェンテ・パル
 … バルタザール・ツォルン:マルクス・ミーゼンベルガー
 … ウルリヒ・アイスリンガー:パトリック・フォーゲル
 … アウグスティン・モーザー:アダム・フランゼン
 … ヘルマン・オルテル:ルペルト・グレジンガー
 … ハンス・シュヴァルツ:クリスティアン・ヒューブナー
 … ハンス・フォルツ:ローマン・アスタコ
 … ヴァルター・フォン・シュトルツィング:クラウス・フロリアン・フォークト
 … ダフィト:ゼバスティアン・コールヘップ
 … エファ:ジャクリーン・ワグナー
 … マクダレーネ:クリスタ・マイヤー
 … 夜警:パク・ジョンミン
[指揮]
 … クリスティアンティーレマン
[オーケストラ]
 … シュターツカペレ・ドレスデン
[合唱]
 … ザクセン州立歌劇場合唱団/ザルツブルグ・バッハ合唱団

(街)
街のいたるところに告知のポスターがありました。ホテルによっては、パンフレットもありました。
新市街と旧市街を結ぶシュターツ橋には、イースターの松と柳の飾り物と一緒に幟が立っていました。

(会場)
夏の祝祭に比べて知名度が低いせいか、地元~近隣の音楽ファンが中心で、年齢層は高めでした。
知名度と関連してか、スポンサー企業の幟もなかったです。
劇場スタッフがとても恭しくて恐縮しました。

(放送)
日本時間4月14日(日)午前2時~6時ごろまで、時差をつけた中継がありました。
現在、オンデマンド配信中ですね。

https://oe1.orf.at/player/20190413/549881

(会場)
チケットはほぼ完売のようでした。
劇場の出入り 口に車が頻繁に出入りするため、チケットを求める人は大変そうでした。
後ろの方の中央の席にいたのですが、見る限り空席はありませんでした。
なお、ここの人々は開演5分前のベルが鳴らないと着席しないようです。
休憩時間は、バイエルン国立歌劇場のような「入れ替え」はありませんでした。

(歌手)
今回は当初の予定から降板はなく、ザックス役がゲオルク・ツェッペンフェルト氏のロール・デビューだそうです。
ほか、バイロイト音楽祭でおなじみのメンバーが集結しています。

(時間配分)
第一幕 16:00~17:25
休憩 30分
第二幕 17:55~19:50
休憩 30分
第三幕 20:10~21:45

(字幕)
字幕が舞台の中央上方の二か所の電光掲示板のみでした。
向かって左側がドイツ語の原文、右側が英語でした。

(パンフレット)
パンフレットに歌詞全文がありませんでした。
指揮者のティーレマン氏と演出家のヘルツォーク氏のインタビュー、作品解説があります。
キャストチェンジを想定してか、歌手のインタビューはありませんが、詳細なプロフィールは出ています。

(演出)
演出家は、これまで何度もワーグナーを演出してきたイェンス=ダニエル・ヘルツォーク氏で、予習としてあのペーター・ザイフェルト氏がタイトル役の『タンホイザー』のDVD等を観てきました。
演出には一部に読み替えがあり、ベックメッサーiPhoneタブレットを持っているので現代のようです。
取り組まれるのは「マイスター歌」ではなく、「オペラ」でした。
翌日に放送されたザルツブルクのローカルラジオの特番では、「劇場の劇場」だと表現していました。
第二幕からは周り舞台で場面転換が多めです。

(第一幕)
前奏曲は完全に幕が降りた状態で演奏されました。
ニュルンベルクの歌劇場が舞台で、オーナーはポーグナー、エファはその一人娘。
エファの婿には歌劇場を継いでもらわなくてはならないというので、ヴァルターに劇場のオーディションを受験させ、一流の舞台人になってもらいたい…という流れから始まります。
歌の親方達は、ザックスは演出家として現場にも携わっていますが、他の人々 は正装しており、音楽評論家のパロディのようです。そして、現場と距離を置いています。
その境界線は、舞台上の舞台の上・下で表現され、両者の行き来はありません。
親方=評論家達は辛口、または見当はずれの批評をしているのでしょうか?
オーナーのポーグナーに接待されていますが、現場からは一定の距離を置かれ、やや冷めた目で見られています。
この対立構造は第三幕でも再現されます。

カタリーナ教会は、ポーグナー劇場の合唱団の練習で、「良く出来た!」とザックスが拍手をします。
舞台の上にさらに舞台のセットがあり、幕があります。
さらに背景がスクリーンの書き割りで、途中スタッフとエキストラ(なぜか熊の着ぐるみで『ジークフリート』の熊?)が片付ける場面もありま した。
両サイドの二階には舞台照明があります。
手前には客席まであり、そこでザックスが監督をしています。
ダフィトはその助手で、上からは厳しい要求をされ、下からは様々にからかわれる中間管理職らしいです。
ヴァルターは、他の人物が劇場関係者らしい服装をしているのに、レーダーホーゼンを思わせる南ドイツの伝統衣装をイメージした服装で、外からやってきたことが示されています。
生まれは良さそうですが、ポーグナーの接待パーティで用意された酒や料理に断りなく手をつけたりと、なかなかやんちゃな人物として設定されています。
今回のヴァルターはサイドストーリーを演じる場面が多かったです。

ヴァルターはたまたま立ち寄ったこの劇場でエファと知り合い、た ちまち恋に落ちており、かなりラブラブな場面が展開されています。
ザックスが気の毒ですが。
マクダレーネが二人の交際を心配して制止にかかるコメディパートも原作に沿ったものでした。
ヨハネ祭での歌合戦は、オペラフェスティバルのコンテストに置き換えられていました。
親方たちが集合すると、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」として、全員の写真パネルが並べられます。
ちょうど十二人で、「芸術に奉仕する十二使徒」でしょうか。
ポーグナーの演説の場面は、エファもバルコニー席からこっそり聞いています。
ヴァルターは事前の審査、という形で親方達の前で歌います。
親方の席は固定らしく、第一幕と第三幕、両方同じ席に座っていました。
ちなみに 、第三幕でベックメッサーが去った後の席にザックスが座るのですが、何か意味があるのかもしれません。

また、座席は中央(ヴァルター)をはさんで左右に別れております。
ベックメッサーはコミカルな演技が多く、幕の後ろで黒板にチョークで審査を記す音を金属的に響かせ、たまに顔を出して観客の笑いを誘っていました。
ザックスは左側で、ベックメッサーを中心とした保守的な親方(=ザックスを除く全員)が右側に集まってヴァルターは失格となり、配布された経歴書も破られます。
しかし、劇場の現場のスタッフはヴァルターの歌を支持しているかのようで、好意的な反応を示し、花を投げ入れたりします。
ヴァルターが親方達に怒って座席に八つ当たりしながら、ザックスが物思い にふけりながら出てゆき、舞台上にベックメッサーの採点が記された黒板が残されて第一幕が終了します。

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ベックメッサーの採点板

(第二幕)
第二幕からは周り舞台が活躍します。
最初に、ポーグナーによる音楽評論家の親方達の接待場面。ザックスが少し距離を置いています。
そこから回転し、劇場の舞台裏でヴァルターとエファの場面になります。
劇場が今取り組んでいる演目のセットがされているようで、イースターのこの季節を反映してかニワトコではなく、ピンクや紫のリラの花木が立ち並んでいます。
親方達の権威主義に憤慨するヴァルターは、パネルに収められた親方達の肖像写真を次々に破ってゆきます。
ヴァルター役のフォークト氏が親方達の口調と音程を真似て歌って観客の笑いを 誘っていました。
ヴァルターは、全部破壊したわけではないのですが、ポーグナーの写真も、ためらいながらも破っていました。
舞台が回転し、ザックスとベックメッサーの場面になると、ヴァルターとエファは上の大道具収納室に逃げ込みます。
最後の乱闘にも気が付かないように、大道具で遊んでいました。

ザックスの部屋は二種類あります。
ひとつは、劇場のザックスのオフィスです。壁には時計がかかり(実物のようです)劇場の計画が壁に貼られ、シェイクスピアの本や演劇理論の本が山積みにされています。
ここで第三幕のヴァルターの稽古が行われます。
もうひとつが劇場の衣装として「靴」を集めた部屋です。
これがザックスの「靴屋」の面を表わしている ようです。
彼は上演用だけでなくベックメッサーやエーファの靴の修理も請け負っています。

ポーグナー家のバルコニーは、舞台上のバルコニー席が使用されました。
このバルコニーにいる「エファ(劇場の小道具らしいカツラをつけたマクダレーネ)」に求愛するため、ベックメッサーは張り切って中世のミンネゼンガーのような服装をして現れます。ザックスとの掛け合いの場面は凝っていて、必見です。
かなりの練習をこなしたのではないでしょうか。

ザックスはそれほどベックメッサーと対立しているわけではなく、エファへの求愛を見咎めたのは、どちらかというとダフィトの方です。
親しくしているマクダレーネをエファの偽物に仕立てただけでなく、他の劇場スタッフにもエフ ァの扮装をさせてからかいます。
それに気がついてベックメッサーが激怒、二人は直接対決の暴力沙汰になります。
それを煽る劇場スタッフ達。
バイエルンボッシュ演出のような集団リンチ風ではないです)

興奮が最高潮に達した時、夜警=劇場の警備員が懐中電灯を持って夜回りにやってきます。
慌てて逃げ出す一同、舞台には破損したセットが興奮を伝えており、静まり返ったところで第二幕は終了です。

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ハープとベックメッサーハープ

(第三幕)
第三幕は、精神世界のような場所でザックスが迷妄を乗り越える場面から始まります。
そして、舞台が回転してヴァルターの教育の場面になります。
ヴァルターは劇場から出られなくなってしまたのか、近くの布を集めて寝ていました。

大き な「木」が書かれた模造紙が貼られます。
歌合戦の会場のイメージのようですが、この木は古代から神聖な木とされ、イースターとも関連のある「ナツメヤシ」または「松」の木ではないでしょうか。

ヴァルターは、やはりマイスター歌にあまり興味がないのですが、それでも歌うこと自体は好きらしいような雰囲気です。
場面転換の間、歌合戦に出るため洋服を新調し、マクダレーネにヘアメイクを施されます。

ザックスとエファの場面では、珍しくザックスが嫉妬と激情に駆られるという演出がありました。
大切にしている古めかしい教本も、エーファの靴も乱暴に投げつけます。
福音史家のような厳かな雰囲気のツェッペンフェルト氏ですので、ギャップがかなりあります。
エーファも父のように慕っ ているザックスの豹変に衝撃を受け、激しい同情に駆られます。
ここでヴァルターが「自分が身を引けばいいのでは?」という風に悲しげに去ろうとするのですが、落ち着きを取り戻したザックスに引き止められ、重唱になります。

そして、最後の歌合戦の場面です。
ニュルンベルクの一般市民たちも登場し、祭に 沸いています。
彼らが大きな額縁に収められた賞状を見せてくるのですが、サイズも仕様も、実際にあるマイスターの賞状に似せたもののようです。

その後でダフィトとマクダレーネは一緒にどこかへと去ってゆき、もう舞台には戻ってこなくなります。
どうしてかはちょっとよく分からないor見落としてしまったのですが、何かと辛い立場に嫌気がさした、あるいはヴァルターに地位を脅かされると思って劇場での将来を悲観したのかもしれません。
この辺りで「ヴァルターも逃げ出すのでは?」と思った観客もいたでしょう。

第一幕では、「現場と批評家の乖離」だったのですが、今度は「大衆と批評家の乖離」が表現されているようです。
一般市民たちが親方たちを歓呼で迎えようとするのですが、親方たちは逆の方向から入場してくる、という演出が数回繰り返されました。
やはりザックスだけが違っており、彼は正常に迎えられます。
そして、ベックメッサーは歓迎されず、調子外れで冷たい合唱で迎えられます。
合唱団は非常に優秀で、もうひとつのオーケストラといって良い働きをしていました。

歌合戦でも、ベックメッサーのコミカルな演技が面白 かったです。
一般市民のブーイングを浴び、怒って出てゆきますが、すぐに戻ってきて、ヴァルターの歌を感心していなくもない様子で聴いていました。

ヴァルターの優勝の歌は、やや高音部のビブラートに疲れが感じられましたが、全体として見事でした。
見事勝利をおさめ、マイスタージンガーに迎えられようとするヴァルター。
すでに肖像写真のパネルも用意されています。
そこで、例の「マイスタージンガーにはなりたくない」と言いだします。
ここで舞台上の幕が閉じられ、ザックスとヴァルター、二人だけになります。
おそらくここはザックスの精神世界なのでしょう。
そこでザックスはヴァルターに詰め寄り、殴るかのような勢いで突き飛ばします。
「お前は何を言っているんだ!」ということでしょうか。
ザックスの歌が終わると幕が開き、現実に戻ります。
ヴァルターは、エファの手を取って駆け落ちのように逃げ去ってゆきます。
照明が暗転し、舞台が影絵になります。
虚ろに響く合唱の中、ザックスは泣いているのか、笑っているのかわからない…というエンディングでした。

拍手とブラボーは、私の席からはティーレマン>>エレート>フォークト>ツェッペンフェルト…という感じでした。

ザックス役のツェッペンフェルト氏は、もう何年もこの役を歌っているかのように安定感抜群でした。

女性歌手二人への拍手がやや少ないように感じました。

マイスタージンガーになりたくない」の言葉通りにヴァルターは去ってゆき、伝統芸術の危機を訴えるという演出が流行のようです。
ですが、「エレミヤ」や「ヨナ」など、聖書の預言者も、しばしば自発的な意思ではなく、神の命令に従ってそうな っています。
キリスト教圏の人々は「真の天才なら必ず帰ってくる」と補完してご覧になるのでしょうか…?

来年の音楽祭のオペラは『ドン・カルロ』だそうで、それ以降は芸術監督が交代(ペーター・ルジツカ氏→ニコラウス・バッハラー氏)し、おそらく運営体制も見直されるでしょう。
最近は楽壇での「政治家」ぶりやバイロイト音楽祭の運営の是非など、音楽以外のことが注目されているようなティーレマン氏。
ですが、それは実力と影響力あってのことで大変素晴らしい指揮ぶりでした。
テンポは比較的ゆっくりとし、室内楽のように音楽をじっくり聴かせながらも、ここぞという見せ場ではかなり大胆に仕掛けてきました。
ヘルツォーク氏の演出よりもティーレマン氏の音楽の方がエ キサイティングだと思いました。

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終演後の劇場